出血多量で意識不明の重体・緊急入院/血便の恐怖

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出血多量_意識不明

全身麻酔による大腸内視鏡検査を行った翌朝、腹部に違和感を覚えた私はトイレへ駆け込んだ。そこから、人生で経験したことのない地獄の日々が幕を開けた。

[zenwa]全身麻酔での大腸内視鏡検査。幸せは長くは続かない

便器一面血の海

「あー、また水便かぁ・・・」

そんな事を思いながら便を拭き取るとそこには真っ赤な鮮血。直ぐさま便器の中を覗き込むと便器の中が真っ赤っか。大袈裟な表現では無く『便だと思って出した物の全てが、お尻からの出血であった』という事に気が付いた私は、前記事の病院へすぐ連絡して検査へ向かった。

 

医者だからと全てを信じるな

恐ろしい程の出血にビックリして駆け込んだ病院で言われた言葉。

「ポリープの切除後から少量の出血があるんですよ。」

「すぐに止まるハズなので一週間後また来て下さい。」

大腸内視鏡検査の実績が抱負とHPに掲げている、大阪本町の某クリニックでの診察結果は上記の通り、相手は医師・私は素人、言われるがままに病院を後にした。

 

現時点でおびただしい量の出血をしている事を、理解して貰えるくらい伝えていれば。他の病院で再検査するという選択肢を自分の中で持てていたら。地獄は回避出来たかも知れない。

※要望にお応えして、大腸内視鏡検査を行う病院選びで迷っている方に限り、個別に○○クリニックだけは辞めておいた方が良いという情報を提供しています。Twitter, FaceBook, メールフォームよりお問い合わせ戴ければお答え致します。

 

出血多量による意識不明までのカウントダウン

様子を見ろと言われても、状況が改善することは当然無い。

 

■内視鏡後1日~3日目

状況的には腸炎や食中毒になった時に似ている。お尻から水が噴き出す代わりに血が噴き出している状態と想像して貰えばよい。初日は1時間に1回、5分程トイレに籠もり、強烈な腹痛と共にお尻からは血が出て来る。1時間に1度、自分のお尻から溢れ出る出血を目の当たりにしていると、どんどん気だけが滅入っていった。

 

■内視鏡後4日目

日を追う毎に症状は酷くなり、ノロウィルスにかかった時と同じレベルで便意が襲ってきた。結果、頻度と量が増えすぎてトイレから出られなくなった。心配する母親を他所に、気丈に振る舞う事にも限界が近付いていた。

 

■内視鏡後5日目

流石に限界を感じて急いで病院へ。現状を医師に伝えると「今日の夕方、大腸内視鏡検査をもう1度しましょう。」特に焦る素振りも何も無く、どちらかと言えば『だから、次の検査まで待てと言ってるでしょう』という感じで、呆れた様子で告げられた。

 

意識不明の重体で緊急搬送

病院から職場へ戻り、内視鏡検査の再診をして貰える夕方までの時間、その殆どをトイレで過ごす。トイレ内ではずっと時計を見つめながら、時間が過ぎるのをただただ待っていた。

 

後1時間で検査・・・。

目前に迫ったゴールを前に、私の体に異変が起きた。全身から吹き出す汗、自分の体に起きている異常を誰かに伝えようと思えど声すら出ない。私は職場のデスクで完全に意識を失った。

 

意識が回復した時、私は救急車で横になっていた。

誰かが話す声は聞こえてくるものの、手足に力は入らない。

「あぁ、生きてる」そんな事しか考える事は無かった。

 

私が意識を失った後、異変に気付いた同僚が検査を予定して待機していたハズの病院へ電話、「ウチの病院では対応しかねるので救急車呼んで下さい。」との解答だったらしい。

※全ての病院がそうとは言わないが、個人病院の窓口には良く○○大型病院と提携と書いているが、緊急の場合は結局自分で救急車を呼ぶ事になり、結果受け入れ先をたらい回しにされるという教訓を得られる経験となった。

 

送られて来ないカルテ

緊急で搬送された大きな病院。しかしながら処置室には入れず、処置台に乗ったまま長時間待たされていた。意識を失っては回復する状況を続けている私に対して、周りから随時声をかけて下さる看護師さん。そして奥から聞こえて来る怒号。

 

電話で大腸内視鏡検査を行った病院とやり取りをしているらしい。

緊急「カルテを早く送って下さい!!」

病院「×××××××××(聞こえない)」

緊急「数時間後に来る再検査をする予定だった患者さんでしょうが!!」

病院「×××××××××(聞こえない)」

緊急「アンタ事態の重さ解ってんの!?」

病院「×××××××××(聞こえない)」

緊急「ひと1人死ぬかも知れないんだぞ!!」

緊急搬送されてから、どれくらいの時間がたっただろうか。気付けば私の傍らには母と弟妹、そして将来の妻が来てくれていた。母親が何かの誓約書に泣きながらサインをした後、私は処理室へ運ばれた。

 

処置室で覚えているのは血の海だけ

処置室に入れると言われた安堵感からなのか、私は再度意識を失った。

便意に似た感覚で目を覚ますと処置台に横向きに寝かされおり、大腸内視鏡検査をされていた。ボンヤリとした記憶の中で覚えているのは「出そうなのでトイレに行きたい」と伝えた事、そして私の辺り一面が恐ろしい程に血塗れだったという事だけだった。

 

意識不明からの回復

目を覚ましたのは病室のベッドの上。

目が覚めて1番最初目に入ったのは腕から伸びる点滴の管と、体に付けられた色々な機材。そして、目の腫れた母と妻。緊急オペ直前、医師からは最悪のケースが想定される。止血の処置が上手くいったとしても輸血の有無で状況は大きく変わると伝えられていたようだ。

 

輸血による感染リスク

輸血をした場合、感染リスクと呼ばれる物がある。

  • B型肝炎
  • C型肝炎
  • エイズ

など最低限のリスクがついて回る。これは、命をつなぎ止める為には仕方無いと言い聞かせるより他無い物だが、父親が血液感染から肝炎→肝硬変。長期の入院生活を経て若くして他界した姿を一番近くで見ていた母親は、息子が輸血する事を泣く泣く了承したらしい。

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結果的には緊急オペは上手くいき、奇跡的に命をつなぎ止める事が出来ただけでなく、輸血もせずに済んだ。人生の大半を病床で過ごした父が守ってくれた気がした。

 

入院は自分の人生を見つめ直す時間

命に危険が及んだ上の入院生活に自由など無く、本当に苦しい物だった。

  • 24時間体制で点滴
  • 4日間の絶食
  • 5日目は豆腐をおかずにお米のとぎ汁
  • 7日目はお米を砕いた様なお粥
  • 9日目は随分固形になったお粥

しかし、入院は決して苦しいだけの物では無かった。それは言うまでも無く妻(当時彼女)の存在があったから。普段から働きに出ている妻は、自身の仕事以外の時間は全て、お見舞いに来てくれているんじゃ無いかと思う程、毎日病院に来てくれた。

体を動かすこともままならない私を相手に、病室で何を話すでも無く過ごす妻との時間。「自分の時間も作って良いよ」と言う私に、妻は「ここに居る時間が自分の時間」と言った。

早くに父親を亡くした事で若い頃から弟妹3人の父親代わりにならないとイケナイ。自分がしっかりして家族を守らないとイケナイ。常に強い存在でいなければイケナイ。長男であり、父親であり、1人の男である。そんな重圧から、常に虚勢を張って生きてきた。

そんな私が、妻と過ごす時間だけは弱い自分で居られた。今思えば、この時既に心の中では、妻と結婚したいと言う感情が芽生えていたのかも知れない。