本当の親孝行とは何なのか?を知ることができた3分間

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60歳になった母親の還暦祝いに、母から見れば子にあたる私たち兄弟4人で数ヶ月前から色々な形のサプライズを準備、10年以上も前に他界してしまった父の記憶を辿りながら親・子・孫の3世代、総勢15人で1泊2日の旅行に出かけた。

 

最後に立ち寄った公園。母と2人で芝生に座って、遠くで遊ぶ家族の姿と夕日が沈んでいく様子を眺めた3分間。本当の親孝行とは何か?を知ることができた。

子が考える親孝行

各家庭に4歳以下の子どもが2人~3人居て、住んでいる場所も違えば職業も違う。家族全員での旅行自体が奇跡に近いことだから、長男家庭と母・妹の旅行という形で家を出た。

次男家庭は立ち寄った観光地で、三男家庭は仕事終わりに駆けつけた旅館で合流。本当に何も知らされていなかった母は、兄弟が合流する度に目に涙をためながら喜んでくれた。

 

父と母が私たち兄弟を連れて行ってくれた思い出の場所に立ち寄ったり、親・子・孫の写真を集めた手作りのフォトボードをプレゼントしたり、ちゃんちゃんこを着せて家族15人の集合写真を撮ったり。

私たち兄弟は総勢7人の小さな子ども達を楽しませる以外は、全て母目線で母が喜ぶことを考えて行動した。もちろん、それらを敏感に察してくれた母は事ある毎に涙ぐんで喜んでくれた。

 

これらの行動は今でも「間違いではなかった」と思っているし、本当にやって良かったと思っているけど、無事に旅行を終えた今思うのは、必ずしも”どこか”に行ったり、”何か”を贈る必要はなかったのかも知れないということ。

 

親が喜ぶ親孝行

解散の時間まで残すところ1時間。最後に立ち寄ったのは通りすがりに偶然見かけた大きな公園。私たちが住んでいる町でも探せば見つけられそうな、どこにでもある普通の公園。遊び疲れて眠る2歳の息子を膝に乗せて、芝生に座って家族を眺めていると、母がやってきて隣に座った。

 

沈んでいく夕日を背景に楽しそうに遊ぶ家族の姿を眺めながら、母は「ホンマにみんな、大きくなったなぁ」と呟いた。言葉が続かない母の方を見ると、母は涙を流していた。

母が親になってからの40年。父が亡くなってからは、全く性格の異なる4人の兄弟を育て、成人させ、孫が産まれ祖母と呼ばれるようになった。ずっと親として気を張って生きてきた40年。

 

本当の意味で肩の力が抜けた母の姿を見たのは初めてだった。

 

孫達が「バァバ」と言いながら駆け寄ってくるまでの間、時間にして3分程度しかなかったけど、そこには母でもない、祖母でもない、ひとりの女性が座っていた。

家族を見つめる視線はとても優しく、その姿は本当に美しかった。

 

本当の親孝行

オムツを替えていた時期でも、思春期で家を飛び出した時期でも、成長して親になって孫を連れて歩くようになった今でも変わらず、母にとって私たち兄弟は”いつまでも子ども”。

 

親になった私が子どもの姿を見ながら「こんなことができるようになった、あんなことができるようになった」と喜びを感じるように、母もまたいつまでも”子ども”の私たち兄弟が親として頑張っている姿、元気に遊びまわる孫の姿を見ながら喜びを感じているのだと知った。

 

親から子、子から孫へと世代が変わっていく様を見せてあげられる時間と場所を用意するだけで、親子間では十分に”感謝”の気持ちは伝わる。感謝の気持ちを伝えることこそが本当の親孝行になる。そう感じることができた3分間だった。

 

きっと私は世界1の親孝行息子

「親に喜んでもらえる生き方をしよう」なんて考えたこともないし、「親が喜ぶ生き方をしなさい」なんて言われてこともない。今までもこれからも”自分のため”に生きている。妻との結婚、2人の子宝という今の現実は自分のために生きてきた結果でしかない。

 

もうすぐ35歳になる私は「ママ~」と甘えることができない代わりに、親と子として過ごす時間、過ごせる空間をできるだけ多く作ってあげたいなと思う。そんな簡単なことが親孝行なのだから、きっと私は世界で1番の親孝行息子になるだろう。