私を授かってすぐに発覚した父の病。医師より伝えられた病名は『肝硬変』。同時に告げられた父の余命は頑張って10年、長くても15年だった。
『息子が20歳になるまで生きたい。』
医師から告げられた余命宣告に対する夫婦の願い。その日から、命の期限に向けたカウントダウンが始まった。
何度言っても聞く耳を持たないアナタに送る、私が20年間、真横で見て来た本当に怖い肝臓の病気の話。これを読んでも変わらないなら、もうアナタには何も言わない。
肝臓の病気は自覚症状が出にくい
肝臓は沈黙の臓器と呼ばれる程に、人体の中でも自覚症状が出にくい臓器。そのため『肝臓の病気は、気付いた時には既に手遅れ』となるケースが少なく無い。
痛く無いから実感が無いというアナタの意見も解るが『痛いか?痛く無いか?は重要ではない』。医者から肝臓に関する注意を受けたのであれば、即座に適切な処置を行う必要があり、処置を疎かにした場合、助かる命も、助からなくなる。
肝硬変という病気
『健康な肝臓は、生レバー』
『肝硬変は、焼きレバー』
肝硬変になると肝臓が小さく硬くなります。同時に、正常に働く事が出来る細胞の数が減少していく為、肝機能の低下及び、その他合併症のリスクがグッと高くなります。
※父の担当医からの受け売り
合併症
肝硬変で肝機能が低下した父に起こった症状。
- 全身のむくみ
- 腹水が溜まる
- 黄疸が出る
- 脳症で落ちる
他にも、肝臓ガンなどを患って居ましたが直接の死因にはなりませんでした。
腹水は薬と食事制限で治る?
全身のむくみは常にあり、主に手足の皮がピンと張った状態になり、指で押しても凹んだ状態から全然元の状態に戻らない状態でした。その後、肝臓が正常に機能しなくなり、腹水が肝臓の表面から体内に溢れ出した事で俗に言う『腹水が溜まる』という状態になりました。
両親から初めて『腹水』という名前を聞いた時は、入院して安静にしながら塩分制限及び、利尿剤での治療で済みました。その為、腹水=寝て薬で治る病気という印象でした。
腹水穿刺という治療方法
腹水により何度も入退院を繰り返す父。入院頻度が高くなった時、病室で見た景色を今でも忘れる事が出来ません。
ベッドの上に寝転ぶ父
足下には大きな青バケツ
お腹から出ているチューブ
お腹に刺さっている針
病室に入ってきた私を見つけて気丈に振る舞う父、病室に響く腹水がバケツに落ちる音。何度も病室に居る父を見て居た筈なのに、この時やっと『父は病気なのだ』と実感しました。
父は『腹膜を通る瞬間が経験した事が無い類の痛さ。』と笑いながら言っていた。
脳症の父、悪夢を見て居る様だった
脳症は、肝臓で除去される毒素が肝機能の低下で除去されず、血液を通じて脳に到達。結果的に脳の機能が低下する病気。正しくは肝性脳症と言う。
温厚で、子供が病室に入るといつも明るく笑顔を絶やさなかった父。初めて脳症になった日、変わってしまった父を見て泣きじゃくる弟妹を連れて、母を残して病室を後にした。
実父の事なのでハッキリと言おうと思う。
初めて脳症にかかった父を見た瞬間、『脳症は人(精神)の死と同意』だと感じた。それは大袈裟な表現では無く、脳症にかかった父は普段の父とは全くの別人だった。
今すぐ退院するから先生を呼べと叫ぶ父、制止する母を怒鳴り散らす父、病気で苦しんでいるのは自分だけで家族は何もしてくれないと呟く父、そこに私が知る父は居なかった。
『全て病気のせい。』そう自分に言い聞かせる事が、私に出来る精一杯だった。
脳症から回復しない?
腹水から脳症の流れを経験してからは、本当に大変だった。
医学的に繋がりがあるかは知らないが、黄疸が出だすと数日以内に脳症になった。腹水が溜まる間隔は短くなり、黄疸・脳症にかかる頻度は高くなっていった。
脳症のレベルによって父の言動は違っていた。
- 泣きじゃくる時
- 怒り狂う時
- 全く何にも反応しない時
- 甘える時
本当に、脳症中は父の中に父の意志は無かった。
そんな症状にも少しずつ慣れて来た頃、母と私は担当医に呼ばれ『このまま意識レベルが回復しない可能性が高い。今夜から明日にかけて。』と言われた。
病室に帰って、脳症でボーッとする父と並んで家族三人放心状態だった。
帰りの車、母は泣いていた。
『大丈夫』
私にはその言葉しか言えなかった。
翌朝、大学を休んで病室に向かう。『おー、久しぶりに来てくれたんやな、大学は今日は休みか?お母さんは?』そこにはいつもの父が座っていた。
肝硬変の原因
父が肝硬変になった原因は医療廃棄物回収時の針を感染経路にしたウィルス性の物。これは時代的に防ぎようが無かった物と諦めている。しかしながら、現状肝硬変になる人の多くは『アルコールの過剰摂取』を原因とした物。これは防げる可能性がある物であり、肝硬変で最愛の父親を亡くした私にとっては『心からアナタには、なって欲しく無い』物です。
余命宣告を受けた時、家族はどうすれば良いのか?
『この週末を迎えられる可能性は極めて低い。』何度言われたか解ったモンじゃない。
『ワシはもうダメやから、皆の事頼むな。』何度言われたか解ったモンじゃない。
元をただせば『余命10年~15年』と言われながら私が成人するまで父は頑張ってくれた。
『大丈夫』という言葉に根拠なんて無い、心から『大丈夫』だと思って居る訳でも無い、しかしながら『大丈夫』と伝える事で自分の心を保ち、家族の心を保ち、余命宣告を受けた本人の心を保つ。家族に出来る事は『大丈夫』と信じて、側に寄り添ってあげる事だけ。
病気の父には感謝しか無い
『もし、父が病気になっていなければ』
当然、一度も思わなかった訳では無い。
しかしながら、病気が無ければ家族を顧みない人だったかも知れない。父と母は離婚していたかも知れない。4人も子供を作って居なかったかも知れない。父の病気が無ければ、今の私は存在しなかったに違いない。
父は文字通り『命をかけて、生きるという意味』を教えてくれた。身勝手な考えに見えるかも知れないが、こう考えなければ父が抜けた家族5人では、立っていられなかった。
肝臓の病気/まとめ
この記事が、アナタの胸に届くかどうかは知らない。
しかしながら『自らの行いで肝硬変になった訳でも無く、家族を残して死んでいった人が居る。』という事実を踏まえた上で、『自らの行いで肝硬変にならない可能性がある。そんな今の状況をしっかりと見つめ直そう。』そんな事を思って貰えたら嬉しい。
『悲しむ人が居る間は、死んではいけない』
少なくともアナタが死んだら私は悲しい。それだけは覚えておいて欲しい。
病気の家族・友人を抱える人に伝えたい。
悲しむのは、後からでも出来ます。
笑いかけてあげて下さい。
側にいてあげて下さい。
大丈夫と声をかけてあげて下さい。
そんな事が出来るのは。
相手が生きている、今この瞬間だけです。
[kanren]『親になるということ』は這いつくばってでも生にしがみつくこと