父親が死ぬ間際に残した長男との約束/後は自分が幸せになるだけ

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父親_約束

父親が亡くなる数日前に長男として交わしたいくつかの約束は、私という人間が歩むべき人生を決定付けるには十分過ぎるものだった。人生を左右しかねない約束ではあったが後悔は少しもない。10年以上の月日をかけて、ひとつの目に見える形として長男としての約束を果たせたことを誇りに思う。

長男として父親と交わした約束

父親は若くして肝臓の病を患い余命10年と宣告された時点で残りの人生を『父親として』生きていくために「自分の幸せよりも、家族の幸せを願う」という約束を自らに課した。闘病生活を送りながらも家族にはツライ顔ひとつ見せなかった。

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お母さんをよろしく頼む

病気をして余命短い自分が子どもを4人も作ることを無責任だという人は少なからず居た。でも、お母さんをひとり残して死んでいくことはお父さんにはできんかった。子どもの前では気丈に振る舞っているけど本当は凄く弱い人。この世でたったひとりのお母さんを大切にしてやって欲しい。お前には迷惑ばかりかけて本当にすまん。今はまだ弟も妹も小さいから長男としての負担は大きいやろうけど、大きくなったらみんな言わなくても協力してくれるいい奴ばっかりやから、お母さんをよろしく頼むな。

 

弟妹3人をよろしく頼む

次男は大きな失敗を経験してきてないから頭を打つ時が来たら助けてやって欲しい。三男は兄弟で1番お母さん思いな子やから少しのやんちゃで道を踏み外さないようにだけ見ててやって欲しい。長女はまだ10歳を過ぎたばかりで必ず父親の存在が必要になる時がくる。できる限りでいい、できる限りでいいから長女が成人して嫁にいくまでは面倒みてやって欲しい。お前にこんなことを言うべきじゃないのは解ってるけど、お前にしか言えんのや。何で自分だけがって思うかもしらんけど、弟妹をよろしく頼むな。

 

父親代わりという大役

父親代わりという大役を果たすための日々が始まったことで、父親を亡くしたことを悲しむ暇など少しもなかった。父親の代わりになるべく見よう見まねで家族のためを一番に考えた行動をがむしゃらに繰り返した。

 

生活費を稼ぐ

弟妹が経験する人生の岐路で「父親がいないから」だけは言い訳にして欲しくは無かった。残された家族5人が生活していくお金を稼ぐためなら、自己の犠牲も省みずに働いた。家族以外の人間が幸せになろうと不幸になろうと関係無い。そう自分に言い聞かせて働いた。

 

家族旅行に連れて行く

幼少時代は節約のために1ヶ20円のコロッケを食べる生活を送っていたが、年に2回は家族旅行に連れて行ってくれた両親。亡くなってからは母と弟妹を連れて父親が連れて行ってくれた想い出の場所を中心に毎年必ず2~3回は泊まりで旅行に連れて行った。

 

弟妹を叱る

長男が父親として叱ることなどできるわけがなく、取っ組み合いの喧嘩になることも度々あった。叱ることは相手を否定することではないと気付くまでは、これが1番難しかった。

 

「よろしく頼む」に困惑した時もあった

父親は1度も具体的に「何をしたらいいのか?」を言ってはくれなかった。長男として母親に何をすればいいのか?父親代わりとして弟妹に何をすればいいのか?が解らずに悩んだことが幾度となくあった。

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何をやっても上手くいっている実感が得られず空回りしているような気がして「家族のため」を「自分のため」に結びつけることができない自分を嫌いになったことが何度もあった。

 

10年以上の月日をかけて果たした父親との約束

過去10数年を振り返ると、全てが父親の予言通りだった。

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母親

決して褒められたことではないのかもしれないが、子どもの誰か1人がいい方向に向かえば、誰か1人が問題を起こすしてバタバタ。良くも悪くも弟や妹が協力してくれたお陰で、愛する旦那を亡くした悲しみに暮れる暇など与えなかった。子ども4人が成人したことで子育てから解放されたと思った瞬間には孫が生まれ、今では自分が生んだ子どもよりも多い孫5人の世話に追われている。

私の力では妻として女性としての幸せを継続させてあげることはできなかったけど、母親としての幸せは二世帯という形を取ることで最低限満たすことができたと思っている。これからも母親としての幸せは与え続けていくつもりである。

 

次男

次男は父親顔で接してくる長男が嫌いだったに違いない。そんな次男は大学入試で頭を打った時に壊れそうになったが、前面に私がでることはせず母親を介して支えることで立派な大人に成長した。今では1歳の娘の父親となり、名古屋で家族三人仲良く暮らしている。

 

三男

三男は父の予言通り思春期の頃に大きく道を外しそうになった。事ある毎に「全部お前のせいや」という謂われのない発言を浴びせかけられながら、何度も取っ組み合いの喧嘩をしながら乗り越えることができた。兄弟で最も母親思いの優しい子はそのままに奥さんと子ども3人を養う一家の大黒柱へと成長した。

 

長女

長女は父親との記憶が10年程しかない。それを埋めるように男3人兄弟がそれぞれに無い所を補う形で父親代わりをしてきた。兄3人のいい所だけを集めた人が理想の男性となってしまった長女は婚期が遅れるかもと心配していたが、先日同棲中の彼氏を連れて結婚の報告へとやってきた。父親との間に交わした約束の最後のピースがカチッと綺麗にはまった。

 

「家族のために」は父親なりの優しさ

家族のためでなければ夜の仕事や店舗経営などには絶対手を出さなかったし、IT業界へ転職することにもなっていなかっただろう。そうすれば大勢の人達との繋がりに恵まれることも無かった。体よりも先に頭が動いてしまう長男に向けて「自分のためには頑張れない」のであれば「家族のために頑張れ」という父親なりの優しさだったのだと人の親になった今なら解る。

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息子として父親と交わした最後の約束

長男として交わした父親との約束を果たす中で「家族のためは、自分のため」ということを教えて貰った。これだけで十分過ぎる人生経験をさせて貰った訳だが、実は息子として交わした父親との約束がひとつだけある。

 

『幸せになる』

 

これも具体的に「何をすれば幸せなのか?」を教えてくれることは無かったのが、私の父親らしくていい。父親との最後の約束を果たせたのかどうか?は死ぬ間際にならないと解らないのかも知れないが、幸せと思える瞬間を1分でも1秒でも多く経験できる人生をこれからも家族と共に送れるように頑張ろうと思う。

 

私も死んだ後まで家族に「大好きだった」と言われる父親になりたいな。