父親は物凄く怖い人だった。
当時、地元で幅をきかせていた傷ありの人達にも真っ向から突っ込んでいき、公務員として今では考えられない様な立ち回りを何度もこの目で見てきた。そんな影響もあり、思春期真っ只中でも父親にだけは怒られ無いよう(会わないよう)に心がけていた。
学校にも行かず明け方まで遊び回ってはバカなことを繰り返す生活が数ヶ月続いた頃、その時はやってきた。時刻は明け方の4時、翌日も仕事である父親は寝ているハズの時間。玄関を開けるとそこには父親が立っていた。
若さで勝るとは言え、所詮は身体の出来ていない中学生。骨の1本や2本は覚悟した。
思春期の息子に対する父親の教え
玄関を跨いだ瞬間、殴られると思っていた息子に飛んできたのは拳では無く、言葉だった。
「友達は選びなさい」
その一言だけを残して寝室に戻ろうとする父親に対して、殴られなかった安堵感よりも友人をバカにされた怒りが先行した息子は物凄い剣幕で父親を罵り、怒号に驚き起きてきた母親の制止を振り切って家を飛び出した。
後にも先にも、父親から人生を左右しかねない指導を受けたのは、これだけ。
「友達は選びなさい」と言われた時の記憶
父親に「友達は選びなさい」と言われた時、友達に流されるような弱い人間だと自分自身を否定された気がした。遅くまで遊び回りバカな行為を繰り返す様になったのは友達のせいだと言われた気がして友達を否定された気がした。自分が相手を選び、相手も自分を選んでくれたからこそ成立している友人関係の全てを否定された時、自分の全てを否定された気がした。
友人に対して時折見せる父親の優しい笑顔
父親が亡くなるまでの間、何十何百とい人間を家に招き入れた。息子が連れて来た相手を見た母親が苦笑いを浮かべていたことは何度もあるが、父親は何かしらの基準に基づいて、息子の友人に対する態度を変えていた。
- 年齢
- 性別
- 見た目
- 話し方
- 傷の有無
取り繕う事が出来る外面や見てくれが判断の基準では無く、「また、遊びにおいで」と優しい笑顔を向けられる友人に共通点は全く無かった。
今だから解る「友達は選びなさい」の真意
あれから20年近い月日が流れ、自分自身も子の親となり、ブログという媒体に自分の考えを落とし込める状態になったからこそ解ることがある。
「友達は選びなさい」
そう言ってくれた父親はもう横には居ない。そして、父親から「選べ」と言われた対象となる当時の友人達も私の横には居ない。末端までで100人以上居たハズなのに、誰1人として。
「友達は選びなさい」
父親が口にした言葉の真意は『一生付き合える友人を探しなさい』だったのかも知れない。
父親はエスパー
実は、この話は少し前に親友を集めて食事に行った時に思い出した物。思い出話に花を咲かせていた時に親友の1人が『何でかは解らんけど、お前の親父から「また、遊びにおいで」って言われたこと、今でも覚えてるわ』ということを口にした。
それを聞いた他の親友も口々に『それ、オレも言われた』と言い始め、気が付けば31歳になった今、私の横に居るのは父親から「また、遊びにおいで」と言われた奴等だけだった。
余命宣告を受けたことで人には見えない何かが見えていたのか、はたまた父親はエスパーだったのか、今となっては知る由も無いが、きっと我が子を愛する父親には何でも解るのだ。
息子が思春期を迎えたら
いずれ、息子も思春期を迎える時が来る。今のままだと「父親の様にはなりたくない」と言われてしまいそうなので、少なくとも子どものダメ見本にだけはならない様にしたい。私が父親を想うように、息子にも私を想って貰える様に頑張ろう。
あとがき
昨日公開したの笑顔記事に引き続き、人の親になった今だからこそ解ることが沢山あるなと痛感しています。若かれし頃、両親に吐いた暴言を飲み込む術は無いけど、少しでも自分の子育てに活かせれば良いなと思います。
[kanren]笑顔の本質と大切さ/最後に周囲の人を幸せにしたのはいつですか?
この手の記事を書くと「勧誘臭さ」がにじみ出ますが、私は父親しか崇拝していないので安心して下さい。(笑)