何故、子どもの笑顔は周囲に幸せを生むのでしょうか。
何故、大人の笑顔は周囲に幸せを生めないでしょうか。
周囲に幸せを生まない笑顔
私達大人も子どもの頃には周囲に幸せを生むことが出来ていたハズなのに、何故出来なくなってしまったのでしょうか。
上司や取引先など目上の者に対する笑顔
大人になり社会に出ると『嫌でも笑顔を作らなければならないシーン』は必ず訪れます。上司の下らない世間話、取引先の意味不明なジョーク、その他目上の者の機嫌を損ねない為に作り出す笑顔はその場凌ぎで相手は勿論、自分自身も幸せには出来ません。
友人知人やグループに対する馴れ合いの笑顔
所謂学生ノリとでも言いますか、属するグループの輪を乱さない様に必死で場を盛り上げ、友人知人と過ごす時間を少しでも有意義(だった)と思える様にニセの笑顔を作って過ごす。解散した後に「疲れた」と愚痴をこぼす。誰1人として幸せになりません。
自分の意にそぐわない時でも笑顔
自分自身の意にそぐわないと解っていても、相手への遠慮や気遣いで目一杯の笑顔を演じる。自分の気持ちを紛らわせる為に作る笑顔は、まさに苦笑いそのもの。自分が幸せになれていないのに周囲の幸せを生むわけがありません。
大人の笑顔は相手に対する感情表現
大人が作り出す笑顔の多くは『相手に対する感情表現』です。
- 機嫌取り
- 輪を乱さない
- 遠慮
- 気遣い
様々な事象に対して自分の気持ちを優先することはせず、相手を不快な気持ちにさせない為に作り出されるのが、大人の笑顔です。
周囲に幸せを生み出す笑顔
子どもが笑う時は、どんな時でしょうか。
大好きなパパ・ママが帰ってきた時
大好きなパパ・ママが目の前に現れた時、子どもは必ず満面の笑みを浮かべてくれます。その笑顔は両親だけで無く、周囲にいる人達にまで幸せを分け与えてくれます。
お気に入りのおもちゃで遊んでいる時
お気に入りのおもちゃで遊んでいる時、嬉しそうな声を出しながら屈託の無い笑顔で自分が望んだ通りの時間を過ごします。そんな姿を見ると「新しいおもちゃを買ってあげたい」とパパは思い、買って帰ると向けられる全身全霊の笑顔に癒やされます。
新しい刺激を受けた時
見たことの無い景色、触れたことの無い物、聞いた事の無い音、新しい刺激を受けた時、始めは戸惑いながらも怖くないと解った次の瞬間に、全力で楽しむ事が出来る能力を子どもは持っています。全力で楽しんでいる顔を見た周囲は幸せな気持ちになります。
子どもの笑顔は自分自身の感情表現
大人の笑顔が相手への感情表現だとすれば、子どもの笑顔は自分自身の感情表現です。
- 楽しい
- 嬉しい
- 大好き
- 幸せ
笑顔になっている理由を大人が知るよしもありませんが、きっと『子どもの笑顔は、何も考えずに自然と出てくる物』なのでしょう。
笑顔の本質
本当の笑顔は周囲を幸せにする物と仮定すれば、子どもの笑顔こそが本当の笑顔となり、笑顔の本質とは『自分自身の感情表現』であり『意識せずとも自然に出てくる物』となります。
「相手を幸せにする為に自分が笑う」などという、おこがましい大人の発想は大間違い。「自然と湧き出た笑顔で、自然と周りが幸せになる」が笑顔の本質です。
笑顔の大切さ
知っての通り、ウチの子どもは世界で一番可愛いので残りの0.01%に該当しますが、私は笑顔フェチを公言しているのでハッキリ言います。
世間の99.9%は、真顔=変な顔です。
変な顔でも笑ってたら大概可愛い顔になるので、そんなにツンケンした顔せずに心から笑って周囲に小さな幸せを生み、相乗効果で世間の100%が本当の笑顔になったら良いのに。と思っています。
笑顔は人を強烈に惹きつける魅力であり、生きる上で本当に大切な物です。
最後に周囲を幸せにしたのはいつですか?
書いた本人は作り笑い99%人間です。仕事上の付き合いは勿論、オフ会で出会った人やコンビニの店員さんなど生活の多くを笑顔で過ごしていますが、全て作り笑いです。本当に親しい友人でさえ「目の奥が笑ってない」と言い出す始末なので自覚もしています。本来ならばこんな事を偉そうに語れる立場にはありません。
そんな私でも『子どもに対しては、本気の笑顔』を向けることが出来ました。その姿を見た妻が幸せに感じてくれているのが何よりの証拠です。若い頃に色々あって心から笑う機会は殆どありませんでしたが、子どもに救われました。
[kanren]人生やり直したい/過去は変わらないけど、明日は変えられる
今この時から「本気の笑顔を誰かに」なんて言っても笑える物ではありませんが、家族に向けてくらいは本当の意味で心を開いて笑顔になれると良いですね♪