『親になるということ』は這いつくばってでも生にしがみつくこと

親に先立たれ人の親になった今、親になるということを理解しました。

先日、仲良くさせてもらっている方がブログに「私が自分の意思をなくしたら殺してほしい」という投稿を書きました。

 参考 そのときは私を殺してください

記事の中に書かれた子供の臓器移植や脳死に関する問題など全ての面に置いて「同じ意見」といえる内容でしたが「理性がなくなりたくさんの人に迷惑をかける前に、自分の意識があるうちに安楽死(尊厳死)を選びたい」という部分に引っかかりを覚えました。

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子供にとっては何があっても死ぬまで親である

私の父親は重度の肝臓疾患で、20年以上も闘病生活を続けていました。

 関連 肝硬変から腹水が溜まり、黄疸に脳症/20年の闘病生活と家族

亡くなる4~5年前から病院で過ごす日の方が多くなりました。病室で過ごす日が増えると身体が衰えてしまい、自分の思い通りに動かすことができないことに心まで弱くなってしまいます。強さの象徴だった父親はいつしか弱さばかりを見せるようになりました。

腹水が原因で何度も脳症を起こしました。お医者さんや看護婦さんだけでなく家族にまで暴言を吐き続ける姿。その姿は私が知る父親ではなく人間では無い何かでした。

それでも、私にとってはたった1人の大好きな父親でした。

殺してくれと子供に懇願する父親

父親から「もうつらいから殺して欲しい」と言われたことは1度や2度じゃありません。何度言われても「殺して欲しい」の言葉に慣れることもなければ、何度言われても実の父親を殺すことなんてできませんでした。

懇願されるたびに「きっと良くなるから、もう少しだけ頑張ろう」という夢物語にも似た言葉を笑顔で返すようにしていました。「これ以上、何を頑張ればいいねん」と叱られたこともありますが、何を言われても父親の前ではいつもニコニコと笑っていました。

帰り道は決まって路肩に車を止めて泣きました。何度も何度も泣きました。

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親は子供のために死んでも生きなければならない

死んでも生きるとは変な表現に見えるかも知れませんが、脳症でダウンして父親ではない何かになっている時も、子供の前で涙を流しながら殺してくれと懇願している時も、子供にとってはいつまでも大切な親なんです。

父親が生きていた頃は「俺の人生は親の看病や介護ばかり」と不平不満を漏らしたこともあります。「自分の人生を犠牲にしている」なんて考えたこともあります。「こんな姿を見せるくらいなら楽になったらいいのに」って思ったこともありました。

今現在、看病や介護で同じ苦労を味わっている人達には届かないかも知れません。大切な人の心臓が止まること以外の死を想像でしか体験したことがない人達には分からないかも知れませんが、当時の考え全てが間違いでした。

親が死んで初めてわかりました。

子供の親になって初めてわかりました。

子供を生んだからには、人の親になったからには、這いつくばってでも最後の最後心臓が止まる直前まで必死に生にしがみついていなければならないのです。

心臓が止まる直前まで子供のために全力で生きる

情けない姿を子供に見せるくらいなら死んだ方がマシという気持ちはわかります。私だって本音では同じ気持ちの方が多いです。家族にオムツを取り替えて貰ったり、子供に自分の医療費を稼がせるなんてしたくありません。

でも、すぐには死んじゃダメなんです。「お父さんは家族のために最後の最後まで頑張ったね」って言われるくらいまで頑張らないとダメなんです。

死んであげる優しさがあるのであれば、例えどれだけ弱々しい姿を見せてでも生き残ってあげる優しさもあると思います。

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自分がどうなるかはわからない

私は自分の青春時代を投げ捨ててでも、父親に存在していて欲しいと願いました。そして行動しました。それは父親が私にとってそれだけの価値ある存在だったからこそであり後悔などは微塵もありません。

しかしながら、子供は親の面倒を見るべきだなんて思ってはいません。

子供には子供の人生があります。父親として子供からそれだけの価値を感じて貰える生き方をできればいいなとは思いますが、それは私が決めることではなく子供が決めること。

「できれば、私が死んでしまったら妻の面倒だけは見てやって欲しいな」と思いますが、それもまた妻が子供にとってどれだけの存在であるか次第。無理強いする気もなければそういう教えを強いるつもりもありません。

死に直面して初めて分かる自分の価値

人によっては脳症や痴呆、脳死などを人の死と表現する人もいるでしょう。実際に経験した身としては「死と表現されても否定はできない」です。しかしながら、私自身は「残された者が死と判断しなければ、それら全ては死ではない」と思っています。

私は無宗教ですし、何かを信仰する人達の気持ちも解りません。勿論、自分の考えを押しつけるつもりも一切ありません。

でも、これだけは事実として残したいです。どんな姿を晒そうが、どんな言葉を吐き出そうが、心臓が止まる直前まで確かに父親はそこで生きていました。

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あとがき

「うーとさんの意見を全面否定している」と思う人がいるかも知れませんが、そんなつもりは微塵もありません。父親は死ぬよりも前に死んでいたと認めてしまうのが怖いだけです。

後、勘違いされると困るので書いておきますが私は無宗教です。後、老害が大嫌いです。誰にも生きて欲しいと望まれることなくダラダラと生き残っている人達は早く召されたらいいのになと思っていますし、私が家族に望まれない状況になったら潔く死にたいと思っています。

生きて欲しいと望まれる生き方ができた人は死んでも生きて。そうでない誰の役にもたたない人達はムダに生きず他人のためにも早く死になさい。こんな感じ。

できることならば、子供が成人して家族を作り孫を抱いて、妻と2人で残りの人生を謳歌した後、一緒にあの世に生きたいと思いますが、いつの時代も「才子多病、美人薄命」などと言われますので私は長生きできそうにないのが残念です…。

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