「子供のためには、頑張ることも頑張らないことも必要ですね」という一言で、私の心はウソみたいに軽くなった。
自分が頑張らなければと思う気持ち
家族を信用していないわけではない。友人を信用していないわけではない。人を信用していないわけではないけど、全てにおいて『自分が頑張らなければ』と考えてしまう。
周りの人達は「長男として育ったから面倒見がいい」などと良く言ってくれるけど、実際は不器用なだけ。相手に負担をかけて大変そうな姿を見るくらいなら、自分が苦労した方が精神的に楽だと考えてしまう。
消化しきれずに焦る気持ち
1人で抱えきれる問題には限界がある
仕事の問題やお金の悩み、子供のことなど全てが重り、一度に消化できる上限を超えてしまうと消化しきれず糞詰まりを起こしてしまう。
そんな状態でも周りは待ってくれない
問題や悩みを抱えすぎて消化不良をおこしていても、周りは待ってくれない。次々と追加されていく問題や悩みは机の上に積み上げられた課題のように気持ちを焦らせる。
最後には心が爆発してしまう
「自分が頑張らないとダメだ」と焦る気持ちに反して一向に減らない問題や悩み。
初めの頃は少しのムリは承知で頑張るが、それすらもいずれは限界がやってくる。
原因は自分だけで抱え込んでしまうからであり、全ては自分の撒いた種、全ては自己責任。分かっていても「何で自分だけが」という気持ちが心の奥から染み出てきて、最後には心が爆発してしまう。
「子供のために頑張らない」の真意
「子供のために頑張らない」という言葉の真意はよくわかる。
子供のためを思って頑張ることはとても大切なこと。親なのだから、少々のムリをするときだってある。でも、それで親がダメになってしまったら…。
それは子供のためになっていない。
長い目でみて子供のためになるなら休むことも必要
今この瞬間だけを乗り切るためにムリをしてしまう気持ちはわかる。
しかしながら、そのムリが原因で近い将来子供の笑顔を作ってあげられなくなる可能性が少しでもあれば、自分の身体を、気持ちを休めることも親の役目。
今現在、それができずに心を病んでいる私が言っても説得力に欠けるかも知れないけど、子供のために頑張らないとはそういうこと。
頑張らないは手を抜いたり何もしないとは違う
「子供のために頑張らない」は物事の手を抜いたり、何もしないというのとは違う。先々を考えて、ちゃんと意図して頑張らないのだから、何もしたくないのとは絶対に違う。
戦術的撤退は恥ずべきことでは無い。
昨日までがウソみたいに今は気持ちが前向き
極々稀にストンと心の中に落ちてくる言葉がある。基本的に人を信用していないので本当に滅多にないのだが、ストンと落ちた後は生まれ持っての単純思考で万事解決するときがある。
子育ての苦労を知る親だからこそ言える「子供のためには、頑張ることも頑張らないことも必要ですね」という言葉は心のモヤモヤを解消してくれると共に、昨日までの憂鬱はなんだったのかと思うほどに、前向きな気持ちにさせてくれた。
本当に、ありがとうございました。
今日から『子供のために頑張らない』始めます
自覚症状はないけど、周りから仕事をしすぎ(本業以外)と言われます。
子供のために頑張っているつもりだったのですが、子供のために頑張らないことを覚えるために、とりあえず2つほど手放します。それでも随分残るのですが、2つ手放して空いた心の余裕で先に身体を治そうかなと。
ブログ上では1日しか経ってないけど、実際は数ヶ月間も悩んでいたこと。それをたった一言で気持ち新たにさせてくれるって考えると、やっぱり言葉って凄い。
999人に否定されても1人を救えれば儲けもん。私ももっと頑張らないと!