子供が1歳を過ぎた頃から、パパは子育てが楽しくて仕方ない

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子供が1歳を過ぎた頃から子供と過ごす時間が凄く楽しい。0歳の頃から積極的に子育て参加してきた方だとは思うけど、当時とは比べものにならない程に楽しくて仕方ない。

 

パパの子育ては、子供が1歳を過ぎた頃から本格的に始まった。

0歳の子育てはママのため

子供の世話はママのため

パパが子供のおむつを変えたり、着替えさせたり。パパが離乳食を作ったり、ご飯を食べさせたりすることで『ママの子育てが少しでも楽になればいいな』と思っていた。

 

お出かけはママのため

公園に連れ出したり、旅行につれていったりすることで楽しそうにしている子供の姿を見るのは幸せだったけど、おでかけの目的はいつも『ママの気分転換』だった。

 

ママの笑顔は子供の幸せ

パパが子育てを頑張ることでママが喜んでくれて、ママが気持ち良く子育てできる状況になれば、結果的に回り回って子供が幸せになれる。そんなことばかりを考えてきた。

 

0歳の頃は「してあげる」子育て

0歳の頃は「してあげる」子育て

誰のために子育てを頑張っているのか?とは別に、0歳の子供と接する行動の殆どは『親の判断、価値観でしてあげる』ものばかりだった。

 

ご飯をたべさせてあげる

「子供がお腹を空かせている(と思う)」からご飯を食べさせてあげる。「お昼ご飯が少なかった(と思う)」から晩ご飯を少し早い目に食べさせてあげる。

子供の食事は全てが親の判断次第。

 

公園で遊ばせてあげる

「滑り台で遊びたい(はず)」だから遊具で遊ばせてあげる。「ブランコで遊びたい(はず)」だからブランコに座らせてあげる。

子供の遊び方は親の気分次第。

 

おもちゃを買ってあげる

「この絵本は子供が喜ぶ(って聞いた)」から絵本を買ってあげる。「このおもちゃが子供の知育にいい(って聞いた)」から知育玩具を買ってあげる。

子供のおもちゃは親の情報次第。

 

「してあげる」から「子供と一緒」に

「してあげる」から「子供と一緒」に

子供の成長と共に子供の表現力は高くなり、自分でできることもどんどん増えていく。

子育ては「子供を育てることではなく、子供と一緒に育つこと」とはよく言ったもので、0歳時点で「してあげる」だったものが、1歳を過ぎた頃から「子供と一緒」に変わっていった。

 

子供と一緒にご飯をたべる

子供が自分でスプーンやフォークを持ち、自分で食べられるようになってからは「パパも一緒にご飯を食べる」ようになった。

 

子供が食べているご飯を「ちょうだい」したら、パパには「どうぞ」してくれる。※ママにはしてくれない(ここ超重要)

 

その代わり、パパの口に食べ物が入っていると「お口をあ~んして、中身を見せてみろ」ってアピールしてくる。「あ~ん」する前に急いで飲み込まないと、パパのお口の中から食べ物を取りだそうとするから忙しいけど、子供と一緒に食べるご飯は物凄く美味しい。

 

子供と一緒に公園で遊ぶ

公園での遊び方は、子供の意思で決めるようになった。

 

子供がキックして転がったボールを拾いに行かされるのもパパ。子供が集めているドングリを地面から拾って子供に渡す係をさせられるのもパパ。子供が滑り台の上から転がすための石を見つけるのもパパ。

 

子供の「して!」という言葉には逆らえないけど、子供と一緒に行く公園は物凄く楽しい。

 

子供と一緒におもちゃを選ぶ

トイザらスにいくと子供は自分の中で流行っているキャラクター名を連呼しながら、目的のコーナーを探して走り回るようになった。

 

パパが「アンパンは?」って聞いても、子供の中でトーマスが流行っていれば無視される。パパが「次を見に行こう」って言っても、目的のおもちゃコーナーに辿り着いた後は満足するまで全く相手にしてくれない。

運良く子供の流行にあうおもちゃを見せると「ご託はいいから、早くこっちによこせ」と取り上げられてしまう。

 

最後には必ず1つ~2つのおもちゃを握りしめて離さなくなるのだが、レジ前に置いてあるアンパンマンラムネを見つけた瞬間に「ボクはラムネが欲しい。おもちゃはいらないからパパが返してきて」となる。

 

それでも、折角子供と一緒に選んだおもちゃだからとパパは毎回買ってしまう。

パパのお小遣いは減る一方だけど、子供が必死におもちゃを選んでいる姿をみているだけで物凄く幸せ。

 

夫婦共に認める超絶パパっ子

以前、子供の「パパイヤイヤ期」に悩んでいると書いたけど…。

[kanren]子供のイヤイヤ期:パパ編/泣き叫ぶなんて序の口、最後は拒絶よ

 

あれは大きな勘違い。

子供がパパのことを好きすぎて、夫婦共に困っているレベルで『パパっ子』だったよ。

 

パパが休みの日は朝から晩まで「パパ!パパ!」言っている。仕事の日もお昼に妻に電話すると後ろで子供が「パパ?パパ?」言っている。

 

唯一、ママしかダメなのは夜中に泣いて起きた時だけ。この時だけはパパを見る目が変質者を見る目になっているが、それ以外は本当にパパを求めて止まない。

 

パパの妄想やと思うでしょ?

事実なんだよな、これが!!

 

1歳の子育ては子供のためと自分のため

1歳の子育ては子供のためと自分のため

今では「子育ては子供にためにやってます」と胸を張って言える。

子供が笑い返してくれる、喜んでくれる、幸せそうにしてくれる姿は、パパとしての承認欲求を満たしてくれる。それだけで子供のために何でもできてしまうし、子育てにおいて誰が大切なのかを考えることはなくなった。

 

「子供が幸せなら、パパもママも幸せ」

そう思えるようになってからは、本当に子育てが楽しくて仕方ない。

 

パパの休日は子供と遊ぶための日

少し前まで「たまには友人と遊びにでかけたい」とか「少しくらい1人の時間が欲しい」なんて思う日もあったけど、最近は「余計なことをする暇があるなら、子供と一緒に遊びたい」としか思わなくなった。

 

お陰で周囲からは「パパバカが本格化した」なんて言われるけど、来月には「自由が欲しい」と言ってないとも限らないので偉そうなことは言えないけど…。

 

子供の成長と共にパパの子育てはどんどん楽しくなってきた。パパが楽しめば楽しむほどに子供とママの笑顔が増えてる実感もあるから、余計に子育てが楽しい!

 

あとがき

ブログに寄せられるの反応が怖くて書けない日がずっと続いていました。

家族のことや子育てに正解なんてないのに、万人に理解される内容なんて書けるわけがないのに、余計なことばかり考えていました。

 

あくまでも「私はこう思う」を配信してきたはずなのに、それができないことにモヤモヤする日々でしたが、人生の新たな機転となるできごとがあったので、これからも変わらず「私はこう思う」だけを配信していきます。

 

という訳で、これからも「読みたいものがあれば、暇つぶし程度に読むブログ」をよろしくお願いしまーす。