子供の性格が優しすぎて不安で仕方ないけど育て方は間違ってない

上の子は本当に優しい子供。

大好きな公園で遊んでいても、他の子供がやってくると「お友達が遊ぶから順番」と言って、他の子供が遊び終わって満足して帰るまで、少し離れた場所から遊具を見つめるような子供。

おもちゃ屋さんで大好きなトミカを選んでいるときも、他の子供がやってくると「お友達が来たから」と言って、寂しそうに、ずっと自分の順番を待っているような。そんな子供。

思う所があり過ぎて、たったこれだけのことを書いただけで泣きそうになる。

親の不安を加速させるできごと

日曜日に上の子と2人で公園にでかけた。

夏の暑い時期はガラガラだった公園も、秋が深まってきた今では凄い数の子供達。もちろん、いつも遊んでいる滑り台も子供達でいっぱい。

いつものように「順番」を待って、割り込まれて、待って、割り込まれて。親としては「子供なんだから」と思うところはあっても、上の子は頑なに順番を待つから、何も言わず一緒に待っていた。

お目当ての滑り台の階段から降り口までにひとりの人もいなくなったのは、順番を待ち始めてから10分くらい経った頃。

今日初めての滑り台。

階段を登ってすぐの場所にある運転ハンドルを掴んだ次の瞬間、2歳くらいの子供が階段を駆け上がってきて、上の子を突き飛ばした。

階段上の狭いスペースで突き飛ばされた上の子は足を踏み外してしまった。

上の子のことは誰よりもわかっているつもりだから、2歳くらいの子供が駆け上がった次の瞬間には、上の子を支える体勢に入れていたこともあって、階段を2段分落ちて、手を付く形で突っ伏すだけ済んだ。

すぐ近くで、ウチの子供と自分の子供が起こした一連の出来事を見ていたお母さん。当たり前のように「ウチの子がすみません。大丈夫ですか?」と言ってくると思っていた。

別に「子供同士のすることだから」と気にするつもりもなかったのに、お母さんは何も言わずに2歳の子供に滑り台を降りてくるように指示をした。

右も左もわからない子供がしたことを咎めるつもりはない。でも、次に同じことをしないように教えるのが親の務め。「子供がしたこと」は被害者側の発言であって、加害者側が言うべきことではない。

子供が産まれてから温厚になったつもりでいたけど、「お友達がいない公園で遊びたい」と泣く子供を抱っこしながら、お母さんに詰め寄ってしまった。

どうしても、我慢できなかった。

「優しすぎる」を理由に虐められてきた記憶

何を言っても「お友達に押されるから、滑り台で遊ばない」と言う上の子とドングリを拾いながら、小学校高学年か中学校2年生までのことを思い返していた。

父親がまだ生きていた頃、よく「お前は優しすぎるくらい、優しい子供やった」と言われいた。男の子やのに、あらいぐまラスカルのぬいぐるみが大好きで、いつでも一緒。恐がりで臆病で、枕の上からジャンプもできない子供だったと。

幼い記憶の中に残っているのは「お母さんを泣かせるようなことはするな」と「自分がされて嫌なことは、相手にもしてはいけない」ということだけ。そうやって育てられてきた。

誰に何をされてもやり返さない性格を見かねた父親の勧めで空手を習い始めても、性格が変わる訳ではなくて、小学校高学年から中学校2年生までの間はずっと虐められていた。当時は余裕で5万、10万していたメガネを割られて泣いて帰ったことも、1度や2度ではなかった。

「誰にでも良い顔」は優しさではない

中学2年の頃、父親から言われた「弱い物には優しく、強い物には強くありなさい」は、思春期の捻くれた頭で「虐めてくる人達には抵抗しても良いんだ」に変換されて立場は一転した。

強く当たってくる相手にだけ強く当たり返すを繰り返しているうちに、ヤ〇ザ屋さんの世界に足を踏み入れて、父親の医療費欲しさに夜の世界で働くことになった。気がつけば、自分を虐める人は誰ひとりとしていなくなった。

誰にでも良い顔をするのは”優しさ”じゃなくて”弱さ”だということ。優しさを振りまく対象は極々狭い家族や仲間内だけで良いということ。この2つを知れたことで、私の人生は前向きに明るいものになった。

子供もいつか気付いてくれると良いなと思う

優しすぎる上の子は、保育園に通っていたときも自分から輪の中に入って一緒に遊ぶということが全然できなかった。4月から通い始める幼稚園でも、お友達と一緒になって遊ぶことは難しいかも知れない。

でも、それは子供の個性だから仕方のないこと。親が「一緒に遊びなさい」と教えても、何も好転しないし、何かが解決するものではない。

集団生活を送っていく中で、傷つけられることもあるかも知れない。泣いて帰ってくる日もあるかも知れない。もしかすると、相手の子供をケガさせるときだってあるかも知れない。

ウチの子供が本当に悪いことをしたのであれば、謝りにもいく。悪いことをしていないのに、責められているのであれば、全力で守ってあげる。相手の親の応対が悪ければ、家に乗り込むかも知れないけど、それはそれで間違っているとも思わない。

親が子供の人生に明確過ぎる道を示してあげるのは、とても褒められた物ではない。最後の最後、子供の後ろ盾になってあげること。子供の個性を信じて見守ってあげることくらいしか、親にできることはない。

優しすぎる子供を育てる親の本音

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上の子が、優しすぎるくらい優しい子供に見えてしまうのは、周りの子供が優しくなさ過ぎるからでしかない。順番を守るということすら教えて貰えなかった子供、「ありがとう」や「ごめんなさい」すら言えない子供を見るたびに「アホな親に育てられて可哀相に」と思っている。

子供の見本になって「ごめんなさい」と言えない親を詰めることは、必ずしも正しいと言えるかわからないけど、きっとこれからも子供を守るために言ってしまうのだと思う。反省はしているけど、後悔はしていない。

親として強くあり続けるために「子供の個性を信じて見守ってあげるしかない」などと強がって見せたけど、これから先「上の子はそういう子供達に囲まれながら集団生活を送ることになるのか」と思うと、正直言って気が気でない。というのが本音。

あとがき

人間は「誰にでも優しく接する」ことなんてできない。世の中には人の優しさにつけ込む悪い奴だってたくさんいる。理想と現実は必ずしもイコールとは限らない。

優しすぎるという個性をもって生まれた上の子の行いは、親の目から見ても決して悪い物ではない。むしろ、ひとつの個として素晴らしい人間だと思うけど、人の善意につけ込む奴から見れば”弱い人間”に思われてしまう。

優しすぎるという素晴らしい個性を伸ばしながら「優しさを向けるべき相手、そうでない相手がいる」ということを教えながら、本当の意味で優しい人になってくれるように、これからもサポートを続けていきたいと思う。

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