私は「保育園に預けられる子どもは可哀相」という思いを、少なからず持っています。専業主婦の母の元ですくすくと育ち、二年保育で4歳から幼稚園に入園、小学校に進んだ後も家に帰ると必ず母親が家に居ました。
今と比べて、当時住んで居た地域では共働き世帯が少なく、クラスの大半は『学校が終わったら家に帰る生徒』であり、『つくしと呼ばれる学童保育に向かう生徒』は少数派。極希に親御さんが休みの日があれば「今日はパパが、ママが居る」と、嬉しそうはしゃぐ姿を何度も見てきました。
今日は保育士さんから聞いた本音を元に記事を書きたいと思います。
可哀相だとは思わない親御さんの意見
2週間程前から『もうすぐ1歳になる息子を保育園に預けるべきなのか?』という悩みに心が蝕まれ、産後うつになった時以上に病んでいました。気持ちを整理する為に『保育園は何歳から預けるべきか?』という記事を公開した所、それはもう沢山のメッセージを戴きました。
その多くは『息子・娘は楽しそうにしているし、楽しいと言っている』という物であり『保育園に預ける=可哀相では無い』という意見でした。これは『実際に子どもを保育園に預けた経験のある親御さん達の意見』です。
これらの意見を真っ向から否定するつもりはありません。しかしながら、全面的に受け入れるという事も出来ないというのが本音です。
全面的には受け入れられない理由
全面的には受け入れられない理由の1つが『実際に子どもを預けた経験がある人達の意見』であるという事。預ける理由はそれぞれの家庭によって異なりますが、我が子を保育園に預けた・預けている人達が否定的な意見を持ってしまえば『預けるのは可哀相=我が子が可哀相』となってしまうのは必然。そんな人達は可哀相だとは絶対に言いません。
子どもの話す「保育園が楽しかった」や「先生が大好き」という言葉をストレートに受け取り、我が子が喜んでいると言い聞かせている人が居るのでは無いかと思っています。少なくとも、私自身が息子を預ける事になれば、楽しそうにしている我が子を見て「楽しんでくれている。預けて良かった」と暗示の様に言い聞かせるでしょう。そうなるより他に選択肢はありません。
肯定派の意見はいつも眩しい
育児に限らず、成功した人達の意見はいつもキラキラして眩しい物です。それはもう、目がチカチカする程に。当然、寄せられた多くのコメント・メッセージの中には『保育所に預けるのは反対』という意見もありました。
公開する許可を戴いてので書きますが、保育所に預けたことで事故に巻き込まれてしまい、お子さんが大きな怪我をしたという方がいらっしゃいました。その方は預ける事を選択した自分を責め、旦那さんとの喧嘩が絶えない日が続いたと言っていました。
肯定派の意見は『保育園に子どもを預けて、大きな問題無く過ごすことが出来た人の意見』ということを忘れてはいけません。後で誰かのせいにしなくて済むように、ちゃんと夫婦共通の意見を探し出す努力が必要です。
子どもの「楽しい」とは?
子どもの発する「保育園が楽しい」という言葉には嘘偽りは無いかも知れない。しかしながら、その言葉に隠れて「(パパ、ママと居る方が楽しいけど)」という思いは無いのだろうか。「先生が大好き」という言葉の裏側に「(パパ、ママの方が好きだけど)」という思いは、本当に隠れていないのだろうか。そんな事を考えてしまいます。
自分の思いを100%言葉にする事が出来る訳では無い年齢の子どもから本音を聞き出す術はありません。勿論、「(隠れた本音)」部分は、本心では預けたく無い親のエゴで勝手に付けてしまっているだけかも知れませんが、否定する術が無いのも事実です。
保育士9名の本音
0歳児を預けることに対して、現役の保育士さん達から話を聞くことが出来ました。SNSで連絡を下さった方が2名、古くからの友人2名とその同僚5名、会わせて9名の保育士さんから戴いた意見から印象的だった物を紹介します。
泣いている姿を見ると可哀相になる
家に帰り「今日はパパに会いたくて泣いた」なんて言う子どもは多くありません。子どもの多くは、今日起こった楽しい出来事を笑顔で話すことでしょう。
しかしながら保育士という仕事をしていると目の前でボロボロと大粒の涙を流しながら「パパ、ママ」と泣き出す子どもは沢山居ます。勿論、一緒になって遊ぶことで笑顔に戻ってくれる訳ですが、あの涙を見ると心が痛くなります。
子どもにしか解らない魔法の会話
同世代の子ども達が遊んでいる姿は不思議で一杯です。月齢の低い子が「あー、うー」と言葉にならない言葉で話しても、子どもはちゃんと理解(?)して会話している姿をよく見かけます。預けに来る親御さん達の多くは「保育所に預けてから、成長速度が早い」と言いますが、もしかしたら子ども同士にしか解らない、魔法の言葉で会話・勉強しているのかなと思っています。
常に1人だけを見ている訳では無いということ
親御さんが面倒を見られている際は、基本的にお子さんに付きっきりで面倒を見られていると思いますが、保育園はその限りではありません。保育士1人に対してお子さん複数人を同時に見ている為、常に1対1の保育を続けられる訳ではありません。
重要なのは保育所よりも親御さんの理解
自宅では体験することができない、貴重な経験を得られることは事実です。
しかしながら、保育所は子どもが自然な形で生活を送り、成長していける環境ではありません。少しでも自然な形で育む事が出来る様に、保育士さんの知識、専門性をもって補い、初めて成立している場所です。当然、中には心にマイナスを抱えてしまう子も居ます。
楽しく行ってるよ(ホントはおうちがいいけど行ってくれている)そんな気持ちを持って子どもと接することが出来るご家庭は大丈夫。大切なのは親御さんが子どもの気持ちを理解してあげる事です。
可哀相かどうかは親次第
寂しくて泣いてしまう姿や、送り迎え時の親子のやりとり、持ち物・衣類の乱れ、時にはお風呂に入れて貰えていない子など、そんな子どもを見た時には、どうしても可哀相に見えてしまうのも事実。その反面、仕事終わりでも子どもの前では疲れた顔ひとつ見せず、姿を見た瞬間にかけよる子どもを見ると可哀相なんてとんでもないと思うのも事実。だと言っていました。
自宅で1日中ほったらかしにされているのなら、例え数時間でも預けられた方が子どもは幸せかも知れない。数時間預けられた後、帰宅後に寂しい思いをするくらいなら半日保育の方が幸せかも知れない。半日保育で…。全ては親次第です。
親としてこうありたい
不思議な物で100件以上の貴重な意見を戴いたにも関わらず「保育園に預けないのは可哀相」という意見は1つもありませんでした。つまりは、そういうことですが…。
- 金銭的理由
- 親の精神的理由
- 子どもの経験
保育園に預ける理由が自分自身が楽をしたいためでは無く、子どもの事を考えての物であれば、それは他人がとやかく言うことでは無く、決して可哀相な物ではありません。
妻とは先週の日曜日に2人きりで話をしてきました。家族の進むべき方向はある程度見えてきましたが、まだ実行動には結びついていません。どういう形になろうとも『子どもの事を、心から愛する』という事だけは忘れずに居たいと思います。
※追記
その当時のリアル悩みを書いているブログ(子どもが0歳の頃に書いた)です。その為、過去記事を触ることは基本的にしませんが、保育園に預けていない親が、預けられている子どもを可哀相と言いたいだけ。という意見が少なくないので追記します。
父親としての本音と、家庭環境全般における現実と向き合った結果、上の子は3歳から保育園に通わせています。「幼稚園嫌いやねん」と言われる度に心がチクっと痛みますが、「幼稚園で〇〇して遊んだ」と聞く度に安心する。そんな生活を送っています。