子供に「危ないからダメ」と言い過ぎるのは良くないと反省した日

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子供には事ある毎に「危ないからダメ」と言ってきた自覚がある。

  • 道路に飛び出してはダメ
  • おもちゃを放り投げてはダメ
  • 高い場所に登ってはダメ
  • 階段で遊んではダメ…などなど

それら全ては大人の経験則を基にした「危ないこと」であるのは間違いないのだけれど、親にとって「危ないからダメ」が都合の良い言葉になってしまっていたかも知れないと反省させられる出来事があった。

祖母の親としての経験は偉大

ウチの祖母にも「孫は自分の子供じゃないから、甘くなってしまう」という側面はあるけど、孫が悪いことをすれば親以上にしっかりと叱ってくれる。今よりも遙かに不便な時代にありながら、4人の子供を立派に育てあげただけあって、やって良いことと悪いことの線引きが物凄く上手い。

 

過保護(必要以上に甘やかしたり、何でも要望を叶えてあげたりすること)になる訳でもなく、過干渉(嫌がることを強制的にやらせたり、やりたいことをやらせないこと)になる訳でもない。子供の自主性や自立を妨げることなく、本当に危ないことだけ「ダメ」と言える素晴らしい人。

 

そんな祖母から、またひとつ子育ての在り方を学ばせてもらった。

 

3歳児と5歳児を2人っきりで遊ばせるという暴挙

その日は従兄弟のお兄ちゃん(5歳)が家に遊びに来ていた。上の子(3歳)はお友達と上手に遊ぶことができないけど、従兄弟のお兄ちゃんのことだけは大好き。押さえが効かないくらい、上の子のテンションは高くなっていた。

 

2人は「祖母の部屋で遊ぶ」と言って聞かないので、二世帯住宅の1階部分に住んでいる祖母に預けることになった。預けてから1時間程度経った頃、祖母は「部屋が壊されるわ」と笑いながら1人で3階の部屋にあがってきた。

 

見て見ぬふりできない状況

部屋中グチャグチャ

子供達は「2人で遊んでるから邪魔せんといて」と言っていたみたいだったけど、3歳児と5歳児を2人っきりで放置する根性はなかった。

 

親がいないとき、子供達はどんな遊び方をしているのか?を知りたくて、静かに階段を降りてドアを開けた。次の瞬間、この様を見て見ぬふりできる祖母は本当に凄いと関心した。

 

祖母が孫達(計7人)のためにと集めてくれた大量のおもちゃは、リビングと和室の床に全てぶちまけられている状態。絨毯は捲れ上がってグチャグチャ。肝心の2人はと言うと、和室の押し入れに入って「ドン!ドン!ドン!」と中から襖を叩きまくっている。

大きな声で笑いながら、楽しそうに…。

 

見て見ぬふりできる祖母は凄い

見て見ぬふりをするために降りてきたのに、咄嗟に出てしまった「何をしてんの!」という言葉。それに対して「太鼓して遊んでるねん」と返してきた子供達。

 

「襖が倒れてケガするかも知れないから、押し入れに入って遊んではダメ!」というか、そもそも「おもちゃを出しっ放しはダメ!遊ばないおもちゃは片付ける!」と言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。

 

危ない(かも知れない)ことを見守る優しさ

「薄手の紙を触ると手を切ってしまう可能性がある。危ない(かも知れない)から紙を触ってはダメ」と教える親は少ない。私だって、そんなことで「ダメ」とは言わないけど、危ない(かも知れない)の線引きはとても難しい。

  • おもちゃをぶちまけた時点
  • 絨毯をひっくり返した時点
  • 押し入れに入ろうとした時点
  • 襖を叩いた時点

祖母が許容して見守ることに決めた”押し入れの中に入って襖を叩くという行為”に至るまでの各時点で、私は何かと理由を付けて「ダメ」と言っていたと思う。それなのに、祖母にはそれを許容して優しく見守ることができた。

 

親としての圧倒的な経験差と、優しさの深さを感じずにはいられなかった。

 

過保護でも過干渉でもない子育ての実演

片付ける母親

祖母が子供達を2人っきりで遊ばせられた理由を知りたくて、部屋の中を見回すと、事故に繋がるような物は全て他の部屋に移動されていた。誰の目からみても、祖母が最低限の安全確保を行ったうえで、孫達が遊んでいる姿を見守ることにしたんだということは明白だった

 

押し入れの中で立ち上がろうとして、天板で頭を強打して、天板の上に置いてある布団が落ちてきて~。などと可能性を考えればキリがない。ただ、そんなことを考えていたら、部屋から1歩も出られない生活を強いるしかなくなってしまう。

 

大人の経験則を教えてあげることは大切だけど、度が過ぎた押しつけは子供の自立性を阻害してしまう。大人と子供が同じことをやったとしても、結果は同じものにはならない。事実、子供達は襖をドンドンして満足したあと、つたない言葉で相談しながら、とっちらかったおもちゃを一箇所に集めて次の遊びを作り出して一緒になって楽しんでいた。

 

過保護でもない、そして過干渉でもない、そんな子育てを実演して見せてくれた祖母には感謝している。

 

「危ないからダメ」を都合良く使うのは辞めにする

「子供が優しすぎる性格で、お友達の輪に入って一緒に遊ぶことができない」という記事を書いたとき、強がっては見せたけど、実際には「親が前に出すぎたせいかも知れない」など、親として色々と考えてしまう訳です。

子供の性格が優しすぎて不安で仕方ないけど育て方は間違ってない
上の子は本当に優しい子供。 大好きな公園で遊んでいても、他の子供がやってくると「お友達が遊ぶから順番」と言って、他の子供が遊び終わって満足して帰るまで、少し離れた場所から遊具を見つめるような子供。 おもちゃ屋さんで大好きなトミカを選んでいる...

 

だから、一度は「親がいないシチュエーションで、他の子供とどんな遊び方をするのか」を見てみたいと思っていました。

 

親としては「上の子も、子供らしく遊ぶことができるんだ」って、正直ホッとしている反面、そんな子供らしい姿を見ることがなかったのは、ある意味で、親の責任なのかなと反省しています。

 

祖母みたいに”子供の安全を最低限確保した上で、優しく見守ってあげる”方が、子供のためになるということを学んだので、親の「危ない(かも知れない)」で、子供の行動を必要以上に制限してしまうようなことは辞めにします。

 

「危ないからダメ」と言い過ぎるのは良くない/まとめ

住んでいる場所や育てている環境 + 親の考え方があってのものなので、やって良いこと、悪いことの線引きに答えはありませんが、何でもかんでも「危ないからダメ」と言ってしまうことで、子供の可能性を阻害している可能性があると感じてしまいました。

 

本当に危ないことを「ダメ」と言うのは、親として当たり前なので、これからも「危ないからダメ」と叱るけど、”子供のためを思ってのダメ”なのか?それとも”親のためのダメ”なのか?その辺りをよく考えながら、子供らしさを押さえ込まないように意識していければと思います。

 

祖母は子育てに一切口出ししない人だから、学べる機会が殆どないけど、やっぱり子育ての大先輩から学ぶことは多い。また機会があれば何か学べたら良いな。