親にとって子供の成長は何よりも嬉しいことだけど、心の奥底で「あの頃は…」って寂しい気持ちになることもある。
今日はそんなお話。
0歳の頃は”親が主役”の子育て
0歳児の子育ては、いつだって親が主役。
- 授乳やミルク
- オムツ交換
- 洋服の着替え
- 沐浴やお風呂
乳幼児期の子供が生活する上で欠かせないことを、親が主体となって、代わりにやってあげる日々は、まさに無償の愛といえます。
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子供を喜ばせる遊びだって親が主役
当時の私が言われたら否定すると思いますが、今思い返せば0歳児との遊びは親が主役。
「子供が喜んでくれているハズ」という想像を基に、おもちゃのベルを鳴らしたり、ぬいぐるみを動かしてみたり。「子供が少しでも笑ってくれたらいいな」という願い空しくニコニコしているのはパパとママだけ。
子供を喜ばせたくて始めたハズの遊びは、いつしか子供ではなく親が笑顔になる遊びとなってしまう。否定している訳ではなくて、このときはコレが何よりも楽しくて幸せなんです。
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1歳の頃は”寄り添う”子育て
1歳児の子育ては、子供に寄り添うことに始まり、寄り添うことに終わります。
- 室内をハイハイで移動
- 捕まり立ちからのつたい歩き
- お手々を繋いでの散歩
- 子供1人でゆっくりあんよ
日を追う毎に増えていく子供のできることを「危ないから」と否定することはせず、だからと言って放っておくこともしない。
見守り、手伝い、寄り添う日々は多くの悩みと多くの幸せが入り交じる素敵な時間です。
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寄り添うの意味を間違えて叱られることも
1歳の後半になってくると子供なりの自己主張が強くなっていきます。寄り添うフリをして抱きしめると「やめて」と言わんばかりに振り払われることも…。
今思えば、イヤイヤ期の初期症状だったのでしょう。
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2歳になると”子供が主役”の子育て
2歳児の子育ては、寝ても覚めても子供が主役。親が無理に主役の座を主張しても「イヤ」のひとことで一蹴されてしまう状態に突入します。
- ご飯は自分で食べたい
- 服は自分で選びたい
- 靴下は自分で履きたい
- 自分の意思で歩く方向を選びたい
何でも自分でやってみないと気が済まない、できないとわかってからでないと手伝ってもらいたくない。
「今よりもっとできることが増えればいいな」という願いを込めて、子供を信じて、危険なこと以外は子供の判断でやらせてあげる必要があります。
子供の自主性を優先する子育ては、今まで以上に大変だけど、子供の成長をハッキリとした形で見てとることができます。
子供が主役は時間と汚れが倍になる
子供の自主性に任せると、大人がやるより何倍も時間がかかってしまうし、何倍もよごれてしまいます。それはもう「勘弁してください」と言いたくなるほどに…。
だけど、どんなに些細な物事であったとしても、子供が自らの力で頑張ろうとする姿はキラキラと輝いて見えるから、親は子供の自主性に委ねることができます。
子育ての変化は親にとって嬉しいこと
子育ての方法が変わっていくということは、子供がそれ相応に成長しているということ。
昨日まではできなかったことができるようになって嬉しい。昨日まで言えなかった言葉が言えるようになって嬉しい。
0歳から2歳までの子育ては、昨日まではなかった新たな『嬉しい』の繰り返し。
だけど、本音は少しだけ寂しい
できることがひとつ増えると言うことは、できなかったことがひとつ減るということ。
やってあげるから、手伝ってあげるになり、やらせてあげるに変わっていくのは嬉しいハズなのに、心のどこかで寂しいと感じる部分がある。
それはきっと、人間の誰しもが抱える「あの頃は」という想いなのだと思う。
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だから、今の子育てを全力で頑張る
形は変われど親の役目がなくなった訳ではない。それどころか、子供が成長するにつれて親の責任は増すばかり。
「あの頃は」を寂しく感じる気持ちを、明日は感じずに済むように、今の子育てを頑張ってあげたいと思う。
3歳の子育てはどんなだろう
3歳になった頃には弟が生まれ、上の子はお兄ちゃんになっている。ハッキリいって想像もできないけど、想像できないからこそ楽しみで仕方ない。
現時点では親としての『目標』でしかなくて、実現できるかはわからないけど、下の子の生活リズムに引っ張られ過ぎることなく、ひとりひとりの成長にあった子育てをしてあげられたらいいなと思う。